「腫瘍微小環境を再定義し、癌を治る病気にする」-No.330
- nextmizai
- 2024年3月16日
- 読了時間: 6分
「 大腸癌の進展に関わる非ゲノム型YAP活性化機構の同定 」
― 腫瘍微小環境を再定義し、癌を治る病気にする―
発表のポイント
1.本研究では腫瘍浸潤部の微小環境を模倣した本学独自のヒト大腸癌培養系を新たに開発し
ました。
2.大腸癌において YAP 活性化や胎児上皮様の性質が、I 型コラーゲンなどの細胞外基質と
癌細胞の相互作用により獲得されることを明らかにし、腫瘍微小環境という非ゲノム因子
の中の細胞外基質の役割を明らかにしました。
3.YAP 活性の主軸となる転写因子である TEAD や、胎児上皮様の性質の維持における重要
なハブ遺伝子である TNF を阻害することにより、通常の抗癌剤に耐性を有する癌細胞を
効率的に除去できることを明らかにしました。
4.本研究の成果は、進行した大腸癌の新しい治療法の開発への展開が期待されます。
東京医科歯科大学統合研究機構再生医療研究センター油井史郎准教授は、ルーヴェンカトリック大学消化管腫瘍学 Sabine Tejpar 教授との国際共同研究を行い、大腸癌において遠隔転移や抗癌剤耐性に重要と考えられている腫瘍微小環境の中で、特定の細胞外基質を起点とするシグナル経路を明らかにしました。この研究は東京医科歯科大学消化器病態学小笠原暢彦大学院生(指導教員:岡本隆一教授)、同大学臨床腫瘍学加納嘉人講師によって行われました。本研究は同大学高等研究院炎症性腸疾患研究室(渡邉守特別栄誉教授)、同大学消化管外科学分野(絹笠祐介教授、山内慎一講師)、同大学人体病理学分野(大橋健一教授)、同大学病院病理部(大西威一郎助教)との緊密な学内連携に支えられ、主に文部科学省科学研究費補助金、科学技術振興機構(JST)、土田直樹研究助成基金の支援のもとで施行されました。
研究の背景
現在、大腸癌における遠隔転移や抗癌剤耐性獲得のプロセスにおいて、癌細胞の胎児上皮様の性質※1との関わりや、この変化における腫瘍微小環境※2の関わりが注目を集めていますが、この細胞運命転換の詳細はわかっておらず、制御不能な微小環境は大腸癌治療の大きな障壁となっています。
研究グループはこれまで、正常腸管上皮の炎症時に、間質に上皮の支持組織である I 型コラーゲンが増生することにより、その上を覆う上皮細胞内で YAP※3が活性化し胎児上皮様の性質が誘導されることを世界で初めて報告するなど、病的な微小環境の中でもとりわけ細胞外基質※4の影響に関して、世界をリードする研究を進めてきました。
この知見をもとに、正常細胞と異なる特有のゲノム変異を有する大腸癌細胞で、特定の細胞外基質とのコンタクトが、どのような影響を与えるのかを評価することで、腫瘍微小環境の癌における役割を明確にすることができると考え、今回、腫瘍先進部でも豊富に見られる I 型コラーゲンを主体とする細胞外基質を使用したヒト大腸癌の培養系を新規に構築し、大腸癌における腫瘍微小環境の詳細を解析しました。
研究成果の概要
研究グループは、癌中心部では高分化型癌腺管の周囲には基底膜蛋白であるラミニンが認められる一方、癌先進部の低分化型癌周囲の間質には、I 型コラーゲン、IV 型コラーゲン、そしてヒアルロン酸が認められることに着目しました。そこで、I 型コラーゲンに IV 型コラーゲン、ヒアルロン酸を配合したゲル(HC ゲル)を新規に開発し、ヒト大腸癌の培養を行い、RNA シーケンス※5、ATAC シーケンス※6解析を施行し遺伝子発現やエピゲノムについて網羅的に解析しました。
その結果、この培養系で培養した大腸癌細胞は癌先進部の低分化癌胞巣※7、蔟出※8と類似した性質を呈することが明らかになり、I 型コラーゲンが豊富な微小環境においては大腸癌細胞でも YAP が活性化し、胎児上皮様の性質が誘導されることや、TNF※9が胎児上皮様の性質を形成する中心的なハブ遺伝子※10 となることを明らかにしました。研究ではさらに、その機序として、AP-1※3や TEAD※3の活性化、腸管上皮細胞らしさを維持するのに必要な CDX2※3や HNF4A※3の転写活性の抑制があることを明らかにしました。
この結果は、遺伝子変異を有する癌細胞においても、正常上皮と同様、特定の細胞外基質と接触した際に胎児上皮様の性質が獲得されることを示しています。なお、この胎児上皮様の性質は RAS 変異陽性群でより顕著となり、癌細胞の遺伝子変異プロファイルとも関連があることを示唆する結果でした。
本研究の重要な点は、標準的な抗癌剤に高い耐性を示す胎児上皮様の性質を有する大腸癌細胞が、YAP/TEAD の相互作用を阻害する TEAD 阻害剤や、最大のハブ遺伝子である TNF の阻害剤に対しては非常に感受性が高く、容易に殺傷できることを示した点です。
研究成果の意義
本研究成果の意義は、大腸癌というゲノムの変異に伴う病態の進展に、腫瘍微小環境の関わりがあるという既知の知見を深め、腫瘍微小環境を構成する細胞外基質の役割を、機序とともに明らかにした点です。
この研究成果は、現在注目されている大腸癌病理検体の空間的トランスクリプトーム解析※10により得られる膨大なデータを理論的に捉える上で重要な知見になると考えられます。また、本研究で提示した機械的刺激を介したYAP 制御機構は大腸癌治療の新たな治療標的であり、特に進行した病期の大腸癌治療の革新につながる高いポテンシャルを有しています。
用語解説
※1胎児上皮様の性質:
胎児期の腸管上皮に特徴的な遺伝子発現の組み合わせを意味している。本研究グループでは腸管上皮の傷害時に成体腸上皮細胞が胎児型形質を示すことを報告してきた。この性質は、癌研究においても遠隔転移や抗癌剤耐性獲得に重要であることが近年注目されている。
※2 腫瘍微小環境:
腫瘍を取り囲む様々な細胞と、細胞以外の構成要素との、複雑で多面的な相互作用ネットワークのこと。悪性腫瘍の転帰に影響を及ぼす大きな役割を果たすことが知られている。
※3 YAP/AP-1/TEAD/CDX2/HNF4A:
核内で DNA に結合して特定の遺伝子の働きを活性化させる作用を有する蛋白を転写因子と呼び、これらの分子は発生や再生に重要な役割を果たすことが知られる転写因子である。
※4 細胞外基質:
細胞の外側に存在し、生体組織を支持する I 型コラーゲンなどの線維状、網目状の構造物のこと。腫瘍組織においては腫瘍微小環境の構成因子の一つである。
※5 RNA シーケンス:
RNA という核酸を対象とした塩基配列同定技術。細胞で多く発現している遺伝子を網羅的に解析できる。
※6 ATAC シーケンス:
DNA という核酸を対象とした塩基配列同定技術。細胞の核にある遺伝子をコードしていているクロマチンという構造を網羅的に解析できる。
※7 低分化癌胞巣:
大腸癌腫瘍先進部で認められる、5 個以上の細胞からなる腺腔形成の乏しい癌胞巣。
※8 蔟出:
大腸癌先進部で認められる、5 個未満の細胞からなる腺腔形成の乏しい癌胞巣。
※9 TNF:
腫瘍壊死因子として知られる物質で、細胞に作用し、その働きを変化させるタンパク質であるサイトカインの一種。腫瘍に出血性壊死を起こす因子として知られており、古くから腫瘍における役割が研究されてきた。
※10 ハブ遺伝子:
遺伝子ネットワーク上で多数の遺伝子と結合する遺伝子。生物学的に重要な役割を果たすと考えられている。
※11 空間的トランスクリプトーム解析:
病理組織切片において、シングルセルレベルの解像度で RNA 分子をマッピングすることで、空間的な遺伝子発現パターンを解読する技術。








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