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ALSの病態の謎.なぜ体の動きだけ奪われるのか? -No.579




ALSの病態の謎. なぜ体の動きだけ奪われるのか?



概要


 ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、神経細胞が徐々に失われることで、全身の筋肉が衰える難病です[図1]。患者数が多いため、精力的に研究が行われてきましたが、発病に至る原因が特定されておらず、有効な治療法も存在しません。

この病気で不思議なのは、意識や五感に関わる神経細胞は保たれたまま、体を動かす神経細胞「運動ニューロン」だけが失われることです。さらに、運動ニューロンのなかでも“大きいもの”(力強い動きを生む)が失われやすく“小さいもの”(繊細な動きを生む)は影響を受けにくいことが知られています。このような「神経細胞の失われやすさの差」が生まれる仕組みは、ALSに特徴的な謎であり、解明されれば病因の特定につながるかもしれません。


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 今回、国立遺伝学研究所の浅川和秀准教授らの研究グループは、ゼブラフィッシュ(生きたまま神経細胞を観察できる)を使った研究で、大型の運動ニューロンでのみ、オートファジーなどの、不要なたんぱく質を分解する活性が極めて高いことを発見しました。

不要分子の分解は、どの細胞にも起きる作用ですが、大型の細胞は大量のタンパク質分子を合成・分解する必要があるため、特にその負担が大きいのです。浅川准教授らは、ALSに関連する遺伝子変異を導入すると分解はさらに高まり、逆に分解を人工的に抑えると、神経と筋肉の接合が阻害されることも発見しました。これらの事実は、体の動きに関わる脳・脊髄・筋肉といった離れた器官を一本の細胞でつなぐ必要上、必然的に大きくならざるを得ない運動ニューロンが、その大きさゆえに大量のタンパク質を正しく合成・分解するという重い負担を抱えていることを示唆しています。その負担の大きさが「神経細胞の失われやすさ」を決め、ALS特有の「体が動かなくなる」という症状となって表れる可能性が考えられます。



研究の背景


 ALSは、体を動かす運動ニューロン(用語解説1)が選択的に障害を受ける神経変性疾患で、発症メカニズムはいまだ解明されていません。

多くの運動ニューロンが失われると、意識や五感が保たれたまま、自分の意志で体を動かすことができなくなります。約10万人に2人の割合で発症するとされ、日本では約9000人の患者がいます。発症から平均2~3年で命を落とすことも多く、「難病中の難病」と呼ばれるほど過酷な病気です。


 しかし、ALSではすべての運動ニューロンが同じように障害を受けるわけではありません。なぜ一部の運動ニューロンは失われやすく、別の運動ニューロンは保たれるのか。その“違い”こそが、病気の根本を理解する鍵になると考えられています。

 たとえば、体を動かすことが難しくなっても、専用のカメラやセンサーが目の動きを追跡し、視線でコンピューターを操作する「視線入力」を利用してコミュニケーションが可能な場合があります。眼球を動かす運動ニューロンが比較的障害を受けにくいためです。

一方で、体幹や四肢の筋肉に接続して力強い動きを生み出す大型の運動ニューロンは、特に障害を受けやすいことが知られています。なぜ運動ニューロンの中で失われやすさの差、つまり選択的脆弱性が生じるのか。その謎を明らかにすることが、ALS研究の大きな課題でした。



本研究の成果


 浅川らは、ゼブラフィッシュを用いて「細胞がタンパク質などの細胞成分を分解する活動」であるオートファジー(用語解説2)を、生きた体の中でリアルタイムに観察しました。その結果、脊髄の中でオートファジーが最も活発な細胞が、大型の運動ニューロンであることを突き止めました[図2A]。

 さらに、大型運動ニューロンでは、折りたたみに異常を起こしたタンパク質が多く蓄積していること、そのタンパク質を除去するためのもう一つの分解経路であるプロテアソーム(用語解説3)も活発に働いていることがわかりました。ALSに関連する遺伝子異常(TDP-43変異)を導入すると、分解経路の活性はさらに高まりました。一方で、分解活動を人工的に抑えると、筋肉との接続に必要な神経軸索の形成が阻害されました[図2B]。つまり、加速した分解活動は、細胞を守るための防御反応であることが明らかになりました。

 分解されるべきものが過剰に蓄積することで生じる運動ニューロンへの負担や、その負担を緩和するために分解活動を活発化させる防御反応は、体長わずか数ミリメートルのゼブラフィッシュの仔魚でも検出されました。人間のように体が大きい場合、運動ニューロンは1メートル近い長さに達することもあり、さらに大きい負担を抱えていると予想されます。


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図2

A) 大型の運動ニューロンでは、タンパク質を分解する活性(オートファジー流動)が高い。GFP-LC3はオートファジーにより分解される。矢印は、GFP-LC3の分解が活発な大型運動ニューロン。

B)オートファジーを阻害すると運動ニューロンの神経軸索の発達が阻害される。スケールバーは20μm。



今後の期待


 大型運動ニューロンにおいてタンパク質の折りたたみ異常が起こる仕組みをより詳しく理解して、異常なタンパク質の発生を防ぐ方法、あるいは、分解機構を支援する方法を開発することが、ALSの新しい治療法の開発につながる可能性が期待されます。

また、本研究で明らかになった「神経細胞が生まれながらに抱える負担」という考え方は、ALSだけでなく、アルツハイマー病など、限られた神経細胞が選択的に障害を受ける他の神経変性疾患の理解にも新たな視点を与えるものです。



用語解説


(1)運動ニューロン (motor neuron)

1本の長い突起(軸索)で、脳と脊髄、脊髄と筋肉を直接つないでいる。ALSでは運動ニューロンが選択的に障害を受けるため、筋肉を動かすことが難しくなる。


(2)オートファジー (autophagy)

「自食作用」とも呼ばれる、細胞の健康を保つためのリサイクルシステム。オートファジーが過剰または不十分になることで、細胞のバランスが崩れると考えられている。


(3)プロテアソーム(proteasome)

不要になったタンパク質を分解して取り除く細胞内の装置。細胞の「タンパク質分解工場」ともいえる存在で、オートファジーとともに細胞の品質管理を担っている。

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