「脳の異常興奮を引き起こすグリア物質」-No.414
- nextmizai
- 2024年8月9日
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脳の異常興奮を引き起こすグリア物質の発見
概要
山梨大学 大学院総合研究部 医学域(医学部薬理学講座及び山梨 GLIA センター)の小泉修一教授及び繁冨英治教授の研究チームは、脳の異常興奮を引き起こすグリア物質を発見しました。本研究は繁冨英治教授と鈴木秀明氏(研究当時、山梨大学医学科学生)を中心として実験を実施しました。また、本研究には九州大学 大学院薬学研究院 津田誠教授、山梨大学 大学院総合研究部 医学域 木内博之教授、慶應義塾大学 医学部 先端医科学研究所 脳科学研究部門 田中謙二教授、東京大学 大学院医学系研究科 尾藤晴彦教授らが協力しました。
さまざまな脳の疾患で、神経細胞が過剰興奮することにより、神経細胞の異常・脱落・変性などが起こることが知られています。これらの変化を引き起こす原因の一つとしてグリア細胞の役割が注目を集めています。この度、脳の異常興奮(神経過興奮)を引き起こすグリア物質として「IGFBP2」を見出しました。
アルツハイマー病、てんかん、脳卒中などのさまざまな脳疾患において、グリア細胞の一種「アストロサイト」は共通して P2Y1 受容体を発現上昇させて「疾患関連アストロサイト」となります。しかし、P2Y1 受容体を高発現するアストロサイト(疾患関連アストロサイト)がどのようにこれらの脳疾患と関与しているのかについては殆どわかっていませんでした。
今回の研究では P2Y1 受容体を強制的に高発現させた人工的な疾患関連アストロサイトを有するマウスを作成し、1) 疾患関連アストロサイトが産生・分泌する新規グリア物質 IGFBP2 を見出し、2) これにより神経過興奮が起こることを見出しました。更に、実際のてんかんや脳梗塞などの複数の脳疾患モデルにおいて、IGFBP2 が疾患関連アストロサイトで高発現していることを見出しました。
背景
脳の半分は神経細胞で構成されていますが、残りの半分は非神経細胞で、その大部分はグリア細胞です。グリア細胞は、脳内外で異変が生じると速やかに応答し、性質を大きく変化させます。最近の研究により、このグリア細胞の変化が、種々の脳疾患と深く関係していることが明らかとなり、グリア細胞の役割に大きな注目が集まっています。グリア細胞の一種の「アストロサイト」は、傷害や炎症が生じると速やかに形態、遺伝子発現及び機能を劇的に変化させて全く性質の異なるアストロサイトに転じます。今回この様な病態時のアストロサイトを「疾患関連アストロサイト」と定義します。疾患関連アストロサイトは、神経細胞を過剰に興奮させて神経細胞の傷害や細胞死を引き起こすことから、脳疾患の病因を解く鍵となる細胞であると言えます。
この疾患関連アストロサイトを特徴づける分子の一つに P2Y1 受容体があります。興味深いことにこの P2Y1 受容体は、てんかん、脳梗塞、アルツハイマー病など種々の異なる病態モデル動物の疾患関連アストロサイトで共通して発現が増加することから、疾患横断的なバイオマーカーとも考えられています。しかし、疾患関連アストロサイトがどのようにこれらの脳疾患を引き起こすのかについては殆どわかっていません。
今回、疾患関連アストロサイトの役割を明らかとするため、人工的に疾患関連アストロサイトを誘導した遺伝子改変動物を作成し、イメージング、ゲノム編集技術、電気生理学的手法などを用いて研究を行いました。その結果、疾患関連アストロサイトが産生・放出するグリア物質「IGFBP2」を見出しました。疾患関連アストロサイトは、この IGFBP2を介して脳を異常興奮(神経過興奮)させ、各種脳疾患を引き起こすことが明らかになりました。
研究成果
1.疾患関連アストロサイトを介した脳の異常興奮。
遺伝子組換え技術を用いて疾患関連アストロサイト発現マウス(P2Y1 受容体をアストロサイトに過剰発現)を作成したところ、次のような結果を得ました。1)海馬神経細胞が生じる活動電位の増加。2)海馬における異常スパイク(脳波)の増加(図 1A)。3)薬剤誘発てんかんの感受性の増大(てんかん発作が起こり易くなった)(図 1B)。これらの結果は、疾患関連アストロサイトは、脳の異常興奮(神経過興奮)を起こすことを示しています。その原因を詳しく調べるために、神経細胞とアストロサイトそれぞれの活動を Ca2+イメージングという手法により調べました。神経細胞は、双方向に連絡を取り合っています。その結果、(1)神経細胞→疾患関連アストロサイトへの情報伝達(ATP が放出され、疾患関連アストロサイトが過剰の P2Y1 受容体で感知する)が増強され(図 1C, E)、(2)疾患関連アストロサイト→神経細胞への何らかの分子による情報伝達も増大されていることが確認されました。(3)更に神経細胞→神経細胞間の情報伝達(シナプス伝達)が増強されており(図 1C, D)、これは興奮性神経伝達物質であるグルタミン酸遊離が増加した結果であることが解りました。
図1.疾患関連アストロサイト(P2Y1 受容体過剰発現)は脳の異常興奮を引き起こす.
A. 脳波による海馬の異常神経スパイク(電気活動)の記録。アストロサイト P2Y1 受容体過剰発現で異常スパイクが増加した。B.てんかん発作(てんかん重積)が起こり易くなった(アストロサイト P2Y1 受容体過剰発現マウスでは、より少量のピロカルピン(てんかん発作誘発薬)でてんかん発作が起こる)。C. 神経細胞と疾患関連アストロサイトの Ca2+イメージングの画像。101-108 frame においてシャーファー側枝を電気刺激した。
最上段、重ね合わせ画像; 中段、神経細胞の Ca2+イメージングの画像; 下段、疾患関連アストロサイトの Ca2+イメージングの画像。左、刺激前; 中央、刺激中; 右、刺激直後の画像を示す。D. 神経細胞→神経細胞への情報伝達の解析結果。E. 神経細胞→疾患関連アストロサイトへの情報伝達の解析結果。以上の結果は、(1) 神経細胞→疾患関連アストロサイトの情報伝達が増強され(E)、(3) 神経細胞→神経細胞への情報伝達が増強されていることを示している。また、(2) 疾患関連アストロサイト→神経細胞への情報伝達が何らかの分子によって増加していることが示唆された(研究成果の項参照)。
2.疾患関連アストロサイトは IGFBP2 を介して異常興奮を起こす。
疾患関連アストロサイトが脳の異常興奮を引き起こす原因を探索するために、1 の(2)疾患関連アストロサイト→神経細胞の情報を媒介するメカニズムを明らかにする目的で、疾患関連アストロサイトに発現する遺伝子を網羅的に解析しました。その結果、疾患関連アストロサイト→神経細胞間の情報を媒介する候補分子として、「IGFBP2」を見出しました(図 2A-C)。IGFBP2 が疾患関連アストロサイト→神経細胞間を媒介する因子であることを明らかにするために、IGFBP2 阻害剤(中和抗体;図 2D)やアストロサイト特異的に IGFBP2 遺伝子欠損の作用を検討しました。すると、IGFBP2 を薬理学的及び遺伝学的に阻害すると脳の異常興奮が消失しました。従って、IGFBP2 が脳の異常興奮を起こすグリア物質であること、疾患関連アストロサイト→神経細胞を媒介する実行因子であることが明らかとなりました。
図 2.疾患関連アストロサイト(アストロサイト P2Y1 受容体過剰発現)は IGFBP2 を
介して神経細胞の興奮性を増大した.
A. 疾患関連アストロサイト(P2Y1 受容体過剰発現)で変動した遺伝子の網羅的解析。
赤矢頭で示すのが IGFBP2 遺伝子。赤系の色で示す遺伝子は発現増加し、青系の色で示す遺伝子は発現低下した。B, C. IGFBP2 と GFAP(アストロサイトのマーカー分子の一つ)の免疫染色画像。疾患関連アストロサイトでは、IGFBP2 の発現が増加した。D. 疾患関連アストロサイトを発現したマウスで観察される神経細胞の異常興奮(Ca2+応答)は、IGFBP2 中和抗体(阻害薬)により抑制された。
3.てんかん及び脳梗塞病態における疾患関連アストロサイトは IGFBP2 を発現する。
最後に、脳の異常興奮を起こす IGFBP2 が、実際に種々の脳疾患のアストロサイトで増加しているかどうかを検討しました。てんかんや脳梗塞といった病態モデルにおいて、IGFBP2 は疾患関連アストロサイトで強く発現が増加していました(図 3)。これにより、てんかんや脳梗塞等の種々の脳疾患において、IGFBP2 が脳の異常興奮を惹起し、疾患の分子病態に関与する重要な新規グリア物質であることが明らかとなりました。
図 3.てんかんモデルマウスの脳では、疾患関連アストロサイト(P2Y1 受容体過剰発
現)が IGFBP2 を強く発現していた.
てんかんモデルにおいて、反応性アストロサイトは P2Y1 受容体及び IGFBP2 をともに発現増加させた。
今後の展開
本研究は、種々の脳疾患において、脳が異常興奮を引き起こす原因となるグリア物質「IGFBP2」を新たに見出したものです(図 4)。しかしながら、IGFBP2 が脳の異常興奮を惹起するメカニズムについては、まだ不明点が多く残されています。また、IGFBP2 を標的にすることで脳疾患病態がどの程度改善されるのかについては不明です。この点を明らかにすることが次の重要なステップとなります。また、この度見出した新規メカニズムの詳細が今後にさらに進むことや、今回の知見が臨床的研究にも活用されることなどにより、本研究の意義がさらに高まるものと想定されます。
図 4.疾患関連アストロサイト(P2Y1 受容体過剰発現)は「IGFBP2」を介して脳を異常
興奮(神経過興奮)させ、種々の脳疾患を引き起こす.
用語解説
[1]グリア細胞
グリア細胞は、中枢神経系に常在する非神経細胞であり、主にアストロサイト、オリゴデンドロサイト、ミクログリアから構成される。神経細胞のように電気的な興奮性は示さない。神経細胞を物理的に支持するだけでなく、脳の発達、神経活動の機能維持・調節、脳内環境の恒常性に関与している。脳の健康を保つために神経細胞とグリア細胞は相互に協調しながら働く。炎症や傷害などの内部環境の変化や環境物質などによって大きな変化を示す。
[2]アストロサイト
アストロサイトはグリア細胞の一種。脳組織全般に存在し、神経細胞の物理的支持、栄養代謝供給、神経機能調節など、脳の生理機能維持を担う。脳外傷、脳卒中、てんかん、中枢神経感染症、神経変性疾患などのさまざまな病態時において反応性アストロサイトとなり、その形態・性質を変化させることで、病態において重要な役割を果たす。
[3]P2Y1 受容体
細胞外 ATP あるいは ADP によって活性化される受容体の一つ。アストロサイトのみならず、神経細胞やミクログリアにも発現している。病態のみならず脳の発達にも寄与する重要な分子の一つ。活性化されると細胞内 Ca2+濃度が増加する。アルツハイマー病、脳梗塞、てんかんなどのさまざまな脳疾患においてアストロサイトの P2Y1 受容体及びP2Y1 受容体を介したシグナルが上昇することが知られている。
[4]IGFBP2
インスリン様成長因子結合タンパク質の一つ。IGFBP2 はアストロサイトを豊富に発現する分泌性タンパク質。その作用標的としてインスリン様成長因子と、その受容体が知られている。最近の研究により、神経発達や記憶メカニズムにも関わることが明らかになっている。










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