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「がん抑制の分子メカニズム解明に新局面」-No.407




がん抑制の分子メカニズム解明に新局面

~ゲノム異常の原因解明に期待~




研究成果のポイント


1.がん抑制タンパク質 p53 の有無により DNA 複製期ヒストン H3.1 の動態が異なること

 を発見。


2.ヒストン H3.1 は核脂質フォスファチジン酸と結合することで核膜に係留されることを

 発見。


3.核膜に係留された H3.1 が通常とは異なる化学修飾を受けるメカニズムを解明。




概要


 北海道大学大学院医学研究院の及川 司講師、佐邊壽孝名誉教授(同大学遺伝子病制御研究所客員教授)、東京医科歯科大学の佐々木雄彦教授、公益財団法人がん研究会がんプレシジョン医療研究センターの植田幸嗣プロジェクトリーダーらの研究グループは、細胞核内におけるヒストンと呼ばれるタンパク質の動態が、がん抑制タンパク質 p53*1により制御されることを発見しました。

p53 は代表的ながん抑制タンパク質で、正常な細胞ががん化することを抑制する重要な機能を担っています。一方、p53 が担う機能には多様性があり、がん抑制に寄与する未知の働きがあると考えられています。

生理的な細胞分化やがんなどの病的状態では、それぞれの細胞のDNAの読み取られ方、すなわち遺伝子発現状態が大きく変化します。DNAが巻き付くヒストンには様々な化学的な「印」が付けられ(化学修飾)、この印に応じてDNAの読み取られやすさが変化しますが、ヒストンが細胞質から核内へ適切に運ばれ、分布し、細胞の状況に応じた化学修飾を受ける仕組みには不明点が多く残されています。


 今回、研究グループは p53 欠失に伴い、ある種のヒストンの細胞核内における分布と化学修飾が異常になることを発見し、その詳しい分子メカニズムを明らかにしました。

今回の研究で明らかにしたことは、がんで見られる遺伝子発現異常の原因の一つである可能性があり、さらに研究を進めることで新しいがん治療戦略の開発につながることが期待されます。


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正常乳腺上皮細胞株 HMLE の核におけるメチル化ヒストンの分布を超解像顕微鏡で観察したもの。対照(Scr RNAi)に比べ、p53 発現抑制(p53 RNAi)によりメチル化ヒストンの分布が核膜近傍に濃縮する。

スケールバー23 は 10 μm。




背景


 細胞の分化状態を決定づける遺伝子発現パターンがあることは、これまでの研究で比較的よく知られています。一方、受精卵から様々な細胞種へ分化する場合などのように、組織中の未分化な細胞が最終分化細胞へと状態を変遷させる仕組みや、一旦分化した細胞がその形質を維持する仕組みについては不明な点が多く残されています。この過程を理解することは、成熟した組織や器官がその完全性を維持する仕組みや、分化状態の制御異常が原因の一つと考えられる、がんの発生または悪性化の仕組みを理解するために重要です。

ゲノム DNA、ヒストン、その他の制御分子からなるクロマチンは、遺伝子発現制御の基本単位です。メチル化やアセチル化などのヒストン化学修飾は、クロマチンと制御分子の結合性などに影響を与え、遺伝子発現に深く関与します。実際、複数のがんでヒストン遺伝子に変異が報告され、この変異が原因で通常とは異なるヒストン化学修飾状態が実現していることが知られています。

これまでの研究から、ヒストン化学修飾が細胞の分化状態の遷移や維持に重要であることが示唆されていますが、分化状態に応じて、あるいは病的状況でどのような種類のヒストン化学修飾が施され、維持されるか、そのメカニズムは依然として不明のままです。

がん抑制タンパク質として知られる p53 は様々な分子の転写を司る転写因子*2 であり、がんの半数以上は正常 p53 を失っていることが知られています。研究グループはがんにおける p53 機能の研究を進める中で、正常 p53 を失うと細胞核内において特定の化学修飾を持つヒストン(27 番目のリジン残基(K27)に三つのメチル基(me)を持つヒストン H3: H3K27me3)の分布が変化することに気づきましたが、そのメカニズムや意義は不明でした。




研究手法


 正常 p53 を持ついくつかのヒトがん細胞や正常乳腺上皮細胞、p53 を欠失したがん細胞を比較しながら、核内における H3K27me3 の分布やその変化を、超解像顕微鏡を用いて解析しました。また、分子メカニズムを追究するために、質量分析法を用いてヒストン H3.1 の結合タンパク質を網羅的に同定しました。さらに核脂質に関しても質量分析法からその組成を調べ、生化学的、細胞生物学的解析を駆使して検証を行いました。




研究成果


 通常 H3K27me3 は核内に一様に分布しますが、p53 が欠失するとこの分布が核膜近傍領域に集中する、という発見が本研究の始まりとなりました。研究グループはまず、正常 p53 を持つがん細胞でも正常乳腺上皮細胞でも、p53 を喪失するとこの現象が見られることや、p53 を持たないヒトがん細胞でもマウス線維芽細胞でも観察されることを確認しました。さらに、この現象は細胞周期*3 のうち DNA 複製期に特異的に見られることや、他の主要なヒストン修飾では見られないことを明らかにしました。続いて H3K27me3 の核膜近傍への分布を詳しく調べると、この H3K27me3 は DNA とは結合しておらず、DNA 複製期特異的に細胞質から核内へ流入するヒストン H3.1 と呼ばれるバリアント*4であることが示唆されました。

そこで、この現象の詳しいメカニズムを解明するために、H3.1 と相互作用するタンパク質を網羅的に調べました。その結果、p53 が存在する時に相互作用量が増加する分子として、核膜脂質制御に関わる分子である CTDNEP1 を、逆に p53 が存在しない時に相互作用量が増加する分子として、H3 の K27 残基のメチル化を担う EZH2 を同定しました。

さらに詳しい分子メカニズムを調べると、p53 には CTDNEP1 のタンパク質量を増加させる作用があり、このことが核脂質の一つ、フォスファチジン酸をジアセルグリセロールへ変換させることに寄与することが分かりました。H3.1 はジアセルグリセロールよりもフォスファチジン酸に強く結合するため、p53 のこの作用により H3.1 は核内でスムーズに動けることが示唆されました。このことは、ゲノム編集技術を用いて H3.1 に蛍光タンパク質を融合させ、FRAP(光褪色後蛍光回復)法*5で核内に流入するH3.1 の挙動をライブ観察することでも確かめられました(図 1)。


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図 1. 本研究で明らかになったヒストン H3.1 の核内動態制御メカニズム。

ヒストン H3.1 は DNA 複製期に細胞質(Cytoplasm)から核質(Nucleoplasm)へ移行する。核膜(NE)は通常 p53 と CTDNEP1の働きによりフォスファチジン酸(PA)がジアシルグリセロール(DAG)に変換され、PA のレベルは低く保たれている。p53 の喪失などを契機として PA のレベルが高まると、H3.1 は核膜に係留され、EZH2 によるメチル化を受ける。




今後への期待


 p53 が存在しない時に H3.1 と EZH2 の相互作用量が増加する分子メカニズムは不明ですが、核膜近傍で EZH2 により生成された H3K27me3 はその後ゲノム DNA に取り込まれ、細胞の個性を決めるいくつかの重要な遺伝子発現に関与することが示唆されました。

今後はこの過程の分子メカニズムをさらに追究し、がんで見られる遺伝子発現異常との関連を明確にすることで、がんに対する新しい治療戦略の開発につながることが期待されます。




用語解説


*1 がん抑制タンパク質 p53

ゲノム DNA の損傷などに応じて活性化され、細胞増殖を停止させたり DNA 修復を行ったりすることなどを通して、細胞のがん化を抑制する働きを持つ重要なタンパク質。定常状態における役割には不明な点も多い。


*2 転写因子

ゲノム DNA に結合し、遺伝子の発現を制御するタンパク質。


*3 細胞周期

一つの細胞が二つの娘細胞を生む過程で、細胞はゲノム DNA やヒストンを含む染色体を倍化させる DNA 複製期(S 期)、倍加した染色体が細胞質と共に娘細胞へ分配される M 期、それらの間の間期(G1 期及び G2 期)を経る。この周期(M-G1-S-G2-M)を細胞周期と呼ぶ。


*4 バリアント

単一の遺伝子または遺伝子ファミリーに由来する、一連の類似したタンパク質。ヒトのヒストン H3 タンパク質には八つのバリアントが存在し、染色体における位置や細胞周期の特定のフェーズにそれぞれが異なる役割を果たすことが知られるが、その制御には不明な点も多い。


*5 FRAP(光褪色後蛍光回復)法

細胞の特定部分に強いレーザーを当て、その部分に存在する蛍光分子を褪色させた後、蛍光の回復を観察する手法。


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