「病識」-未在代表の独り言.
- 未在代表 松舘 敏
- 2023年5月28日
- 読了時間: 4分
「病識」いわゆる自身の病気の状態をどのように認識しているか!
個人個人、まさに異なる。しかし、この病識一つで、その後の人生の岐路は大きく変わる。
若い頃から自他ともに認める「ヘビースモーカー」そして「大酒飲み」。酒を多飲しては妻をせっかんしたり、殴ったり。妻は「何度も、おいわさんになったわ」と話す。
十数年前に、慢性閉塞性肺疾患(以下、COPD)の診断を受ける。1年半前くらいから歩くのが大変になっていた。そして1年くらい前、歩行も数メートルくらいを歩行器でやっとの状態。立つことも一人では困難となる。
本人は、2~3年前に発症した(診断を受けた)脊柱管狭窄症のためだと常に話していた。
訪問リハビリテーションを利用することになる。自宅がアパートの2階で、エレベーターも無く、車椅子移動となるが、通所リハビリテーションの送迎車に乗ることができなかったためである。
幸いにも、担当の理学療法士はリハビリテーション医療の各分野の知識と技術があり、脊柱管狭窄症に伴う腰痛は解消していった。にも関わらず、間欠性跛行は悪化傾向を辿った。
訪問看護への利用要請から初回サービス担当者会議に看護師(管理者)が参加する。その会議にて何が話し合われたかは判らないが、週2日(週1日は、看護師による)リハビリ訪問となっていた。
看護師からは、脊柱管狭窄症により腰痛があり、これまではアパートの外廊下を歩行運動していたが、それが出来なくなっての相談があったと言われ、訪問を行う。
初回時のバイタル確認から始まり経皮的酸素飽和度(以下、Spo2)の確認を行うと88%が観られた。何回かを行い、95%にはなった。訪問看護指示書や情報類には記載がなかったが、既往歴を伺っていくとCOPD診断を受け、それ以来10年近く気管支拡張薬を使用していたと、その段階で初めて大事な情報を得る。
その後は、88~89%が観られながらも、92~95%で経過し、一般的なCOPD者のSpo2値で収まって経過していた。しかし、間欠性跛行の改善の兆し得られなく、筋量はあるものの筋出力は発揮できずに経過した。ただ、気管気管支の病態でもあり、5~6mの歩行器歩行運動でも「ヒュー音」は時折聞かれていた。
看護師はというと、COPDによる間欠性跛行の運動障害の知識無く、またSpo2 88%が示す危篤な状態の知識も無いことから、ただ計測記録し、マッサージやらしていた。
訪問開始し月日が経過する中、5~6mの歩行も難しく3~4mで歩行困難となり、その場で着座を余儀なくする状態となった。その際にSpo2を計測確認すると、88%を示していた。
そのような状態から運動とSpo2値の相関評価を行う。歩行だけではなく、手足の運動でもSpo2値が低下することが判り、その後は、いくつか運動を行うたびに計測し呼吸補助運動いわゆる呼吸リハビリテーションを導入しながら、運動療法を行っていった。
それまでも、この評価後も、訪問看護への指示者であるかかりつけ医に、状態報告は上げていたが、なんの対応もなかった。本来、看護師が観察報告すべきことを理学療法士が行っていた。それはそれで構わないことである。看護師より理学療法士の方が身体は診れるからである。ただ、主治医に対応を上申するのは看護師の役割であるが、それをできない訪問看護事業所に相談をおこなったのは不運と言える。
その後、間もなくの或る日、看護師が訪問した際、後頭部が腫れた状態が観られ抗生剤の軟膏を処置していた。その数日後、理学療法士が訪問すると後頭部の状態は悪化し浸潤液も噴出し、横になっていたいと臥床されていた。
後頭部の状態を観察するとともに、Spo2計測を行うと87~89%にあり呼吸リハビリを行っても90%台に回復することが無かった。この段階でも、病気に対する自覚は無かった。
これまでも、幾度も、肺(呼吸)の問題が運動へ影響することを説明し、(10年近く呼吸器科を受診していなかったが)受診を促していた。そのたびに、肺のせいで歩けなくなるなんてありえない、と思われていた。あくまでも歩けなくなったのは脊柱管狭窄症のせいだ、と認識され譲らなかった。
しかし、その日の状態は本人の認識に関係なく、生命に関わる状態であることから、本人に救急要請する旨伝え、家族にも説明し同意をいただき救急搬送を行った。
その後、2ヶ月くらいの入院加療を経て転院の説明がなされた。本人が転院候補2病院のうちリハビリがある方を選択し療養病院に転院された。
家族(奥様)からは、個人的に何度となく経過等の電話をいただいていた。転院前最終の急性期病院からの説明では、肺炎は寛解したが、胸水、肺気腫であり、酸素を外すと82%にダウンするとのことだった。理学療法士が評価した際に、もしかしてと思ったことが現実であった。
また、後日談として、奥様から伺ったことに、まだ歩けて外で草刈りをしていたときも「ヒュー音」聞かれており、病院受診を勧めたこともあったが、上記にも記載した通り、奥様の話に耳を傾ける方ではなく、その後、歩行困難に向かっていったようである。
入院中での奥様との電話でも「俺は、どこも悪いとこない」と言っているとのこと。鼻に管を刺し酸素を入れている自身を目の当りにしても、「病識」に変化はないのである。
記)令和5年5月28日
未在代表 松舘 敏






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